馬飼野俊一

大衆音楽の殿堂入り(作曲・編曲)


出逢いに感謝!音楽は永遠の恋人


第37回 蕎麦(そば)の会「かも南の山馬」(かもなんのサンバ)が2022年12月14日(水)に東京青山のとんかつ まい泉(まいせん)で、初参加の方も含めて総勢78名の参加者で盛大に開催された。

この会はひょんなキッカケで生まれた。

JCAA(日本作編曲家協会)の会員に山移さんと南林さんという方がいられて、JCAAの総会が終わったあとの宴会の席で、正面に座っていた同じくJCAA会員の馬飼野俊一氏と初めて顔を合わせることになった。

山移高寛(やまうつりたかひろ)さんは、昭和40年生まれの作曲・編曲家で、小学生の頃に、妹が購入してきた天地真理とアグネスチャンのレコードを聴き、親戚の結婚式で「てんとう虫のサンバ」を聴いた。ある日、テレビで日本レコード大賞受賞式に映っていた馬飼野俊一氏を見て、この怖そうな人が、天地真理の「恋する夏の日」、「ひとりじゃないの」、アグネスチャンの「草原の輝き」、「ひなげしの花」、チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」を全部作っていたことを知り、「芸能界は怖いところなんだ!」と驚いた(笑)。

一方南林弥宏(なんばやしみつひろ)さんは昭和47年生まれの編曲家で、石原裕次郎や三波春夫のアレンジャーとして活躍していた編曲家の山倉たかし氏の門下に入って編曲の勉強をしていたとのこと。

山移さんも南林さんも、正面に座っている方が「てんとう虫のサンバ」を作曲された有名な作家だっとは全く知らなかったので、名刺交換してびっくり仰天。

すっかり意気投合した山移さんは、馬飼野氏のご自宅にぜひ遊びに行きたいと打診したところ、狭い所だからということで、「男はつらいよ」の寅さんの育った柴又にある南林さんの自宅まで出かけることになった(2008年9月23日)。南林さんが気を遣い「うなぎ」を予約していたそうだが、馬飼野氏がお昼から脂っこいものよりはさっぱりしたものが食べたいということで、急きょ柴又街道沿いにある「やぶ忠」でお蕎麦を食べることになった。
好物の蕎麦を食べながら、音楽談義で話が弾み、後輩も先輩も分け隔てなく互いに大きな刺激を受けた。このような機会はもっとたくさんの音楽仲間とぜひ分かち合いたいと、手近な知り合いや友人に声を掛けて、このような蕎麦の会を設けることになった。

回を重ねる毎に参加人数が増え、20人ほどの集まりになった頃(第6回目)、そろそろこの集まりにも正式名称があった方が良いだろうという声が出て、集まりの発端になった3人を発起人として馬飼野俊一氏を会長に据え、南林さんの「南」、山移さんの「山」、馬飼野氏の「馬」を取り、蕎麦好きの集まりだとわかるように「かも南(鴨南蛮)」、会長の代表曲「てんとう虫のサンバ」のように広く永く愛される歌が産まれますようにとあやかって「山馬(サンバ)」、合わせて「かも南の山馬(かもなんのサンバ)」と馬飼野氏が苦肉の名付け親に。

3人で始めた蕎麦の会「かも南の山馬」も、今では200人の会員数となった。

今回は、コロナの影響で3年ぶりの37回目のリアル開催となり、待ち遠しかった会員が多かったようである。

この会の趣旨は、「好きな蕎麦を食べながら、ジャンルやキャリア、世代を超えて語り合い、楽しく過ごしましょう!」ではあるが、音楽仲間の集まりということで、この会を通して日本の音楽業界が盛り上がることを期待したい。

会の参加者の業種は様々である。作家、歌手、楽器奏者、サウンドディレクター、音楽プロデューサー、音楽講師、女優、ステージ装飾、レコーディングエンジニア、ゲーム音楽制作、Vtuber、アニソンVDJ、ボカロP・・・。

ボカロPなど見慣れない業種もあり、音楽業界が変わりつつある印象を受ける。

音楽の聴き方が、昭和時代はレコードやCDを購入して、それをプレーヤーにかけて聴くスタイルだったが、現代は、インターネットが普及し、物理的な物(CDやカセットなど)を購入しなくても、スマホやパソコンで音楽を楽しめるようになった。

そして音楽がアナログからデジタルに移行するとともに、過去になかった職種が生まれた。
今後、音楽業界は、そういった音楽仲間とも手を取り合って協力していく必要があるのではないだろうか。

音楽を愛してやまない多彩な音楽仲間が集い、好きな蕎麦を食べながら、色々な話に花を咲かせ、良い刺激をもらいながら、素敵なご縁をいただいたことに感謝し、今後の音楽活動に力を与えてくれる「蕎麦の会 かも南の山馬」がこれからも会長の馬飼野俊一氏を中心に継続して行われることを期待したい。

投稿:2022年12月23日
シンガープロ 安藤秀樹


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